芸術と映画-Art et un film

フランスの美術

19世紀の後期にフランスにおいて半ば侮辱的に使われたアール・ポンピエ(L'art pompier)という言葉があります。これは単に巨大で格式ばっている歴史画や寓意画を指す意味で使われています。これを直訳すると「消防士の美術」となります。フランスでは当時、消防士は馬の尻尾の毛のついたヘルメットをかぶっていたのですが、その見た目に由来すると言われています。このヘルメットが作品中に出てくる、古代ギリシャの戦士やナポレオンの騎士がかぶっていたヘルメットに似ていたため、そのように呼ばれるようになりました。

アカデミー・ジュリアン

1868年にフランスのパリで、ロドルフェ・ジュリアンという画家がパッサージュ・デ・パノラマ通りに開いた個人的な武術学校が始まりで、この学校の名前も彼の名前が付けられています。初めは官立美術学校エコール・デ・ボザールを目指すための個人的な準備学校でしたが、だんだんと独自の芸術様式を学べるようになってきます。この学校が他と最も異なる点としまして、当時のフランスではボサールなど女性の入学が禁止であることが多かったのですが、アカデミー・ジュリアンは女性の入校もできたことが挙げられます。ただし、全く同等に差別がなく学べていたわけではなく、性別ごとに別れて講義が行われていました。

アンフォルメル

フランスを中心として、1940年代半ば~1950年代にヨーロッパ各地に現れたとても激しい抽象絵画を中心とした美術様式をさす言葉です。同じ頃のアメリカのアクション・ペインティングなど、抽象表現主義に似た内容の動きです。

アンフォルメルの広がりは、ヨーロッパはもとよりアメリカや遠く日本まで影響をおよぼします。その当時パリにいたスペインのアントニ・タピエス、イタリアのアルベルト・ブッリ、ロシアのセルジュ・ボリアコフ、中国のザオ・ウーキーなどの世界各国の画家たちをも巻き込むこととなります。しかしながら、各画家たちの背景やそのビジョンは多種多様で、その作品全てがアンフォルメルに由来するといえるものではありませんでした。

フランスの映画

映画が世に初めて生まれた頃の創成期、黎明期時代において、フランスの映画技術は世界でも屈指の技術でした。それは「映画」が創りだされたのが、そもそもフランスだったためです。リュミエール兄弟が1895年にパリで製作公開した「L'Arrivée d'un train en gare de la Ciotat」が(フランス)映画作品の誕生と言われています。

その後、1902年にはジョルジュ・メリエスが世界初となる物語のある映画「月世界旅行」を公開しました。1908年には、映画を芸術の域まで高めようという動きが活発となり、ル・フィルム・ダール社が設立されました。そしてル・フィルム・ダール社による映画「ギース公の暗殺」が公開されるとまたたく間に大ヒットとなりました。


since2005Copyright © Four Starters | フランスの芸術や映画そして吹奏楽